勉強と遊びの棲み分けの難しさ
16時10分 土湯温泉ホテル到着 会場(客室411)セッティング 準備
16時30分~18時15分 学習支援
18時20分 子どもたちの見送り、片づけ、撤収
【参加学生・院生】 計6名(女性4名、男性2名)
【参加児童】 計3名(小学生3名)
今回のボランティアでは、読売新聞の取材の方の対応があったため、参加した子どもたちや学生の様子をとらえることができなかった。
ただ、感想を読むと、子どもの人数が参加学生の半分しかいなかったため、丁寧に対応をしていたことは伝わってきた。
また、前回からの反省として学生たちの記述にあった「宿題を済ませてからの対応」に関して、私のほうでいくつかの材料・道具(日本地図パズル、学習ゲームなどが掲載された雑誌類、市販のクロスワードパズルの雑誌など)を持参し、必要に応じて活用できるスペースを用意した。
そうした道具があることで、少し落ち着いて子どもたちと学生がかかわれるようになればと思いだったが、学生の感想にもあるように、そうした道具を生かすためにも、個々の子どもと学生との意思疎通が重要である。道具を準備しながらも、個々に対応せざるを得ないのが、この会場の性格だと思う。
子どもたち全員を同じ活動(たとえば、ものをつくる、あそびをするなど)に巻き込むことが困難な場の性格だからこそ、個々の対応に学生たちが悩み、戸惑うのかもしれない。
そうしたもどかしさ、さらに子どもたちのニーズを考慮すると、たとえば、学習支援の曜日と遊び支援の曜日とを分けて、活動を展開する、その場合に必要となる会場の手配についても他の場所を検討するなどの対応策が必要となる。
ボランティア活動が終わってホテルのロビーに降りると、これまで会場に顔を出していた子どもたちが集まってゲームに興じていたり、異年齢(小中学生)の子どもたちが一緒になって机上で何かを書いて遊んだりしていた。ホテル内や借り上げ住宅などに移って、徐々に「宿題をする」という習慣が子どもたちの中に定着し、落ち着き始めているということの現われであるとすれば、なおのこと、学生を動員して行うボランティアの活動形態を検討する必要があると痛感した回であった。
【学生の感想】
今回も先週と同じく4年生のYnちゃんと関わった。
宿題は出ていたみたいだったが、宿題用のノートを忘れてしまったということで、吉永先生が用意してくださった学習材の中から、日本地図のパズルがやってみたいということで、パズルをすることになった。
ただ形をはめていくだけではなく、その県に関する知識を教えたり、Ynちゃんが知っていることを聞いたり、声掛けをしていた栗原先生はやはり上手だなと感じた。学習支援として関わっていくなら、楽しい中にも何か自然と考えさせることができるような仕掛けをしていかなければならないと感じた。
Ynちゃんは、栗原先生に算数の問題を出してもらっているとき、楽しそうに活動し知的好奇心が伺える。子どもたち一人ひとりにとって興味関心も異なるし、楽しいと感じることも異なってくると思うので、宿題を終わった後一概に、他の学習材を提供したところで取り組めるかわからないと思った。
Ygくんが「最後にこの前みたいにかくれんぼしたいなぁ」と言っていた。先週、かくれんぼしたことが本当に楽しかったようで、ホテルに住んでいる他の人たちや学習している人たちに迷惑にならない範囲では、学習支援というかは分からないが、子どもたちの想いを少しでも叶えてあげられるような時間になれば良いなと思った。
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M先生の遊び支援ボランティアには何度か参加させていただいていたのですが、学習支援ボランティアは初めてでした。
遊び支援と学習支援では求められていることが異なることを知り、どのように支援していけばよいのか分かりませんでした。しかし、実際に子どもとやりとりをしながら宿題をやったり、Y先生が用意してくださった日本地図のパズルをしたりして、勉強しながら楽しくかかわることができました。(このようなかかわり方でよかったのかは分かりませんが。)
帰り際に、私に声をかけてくれた男の子がいました。「ぼくね、サッカーできるんだよ。」「この前ここでね、かくれんぼしたんだよ。」と言って、部屋の隅の狭いスペースに入っていきました。限られたスペースで子どもたちなりに工夫をして、遊びを見つけているのではないかと思いました。
その子が私に声をかけたのは、遊んでほしかったからだったのかもしれません。遊んであげたいのはやまやまですが、時と場所をわきまえなければなりません。思いっきり遊びたいに違いない子どもたち。サッカーも今はできないと思います。そのような子どもたちに私たちができることは限られています。もどかしさを感じました。
自分の家を離れ、新しい学校に通うことになり、不意に新しい環境におかれることになった子どもたちは、少なからずストレスを抱えていると思います。私には子どもたちの気持ちを量り知ることはできません。しかし、知ろうとしなければなりません。
ほんの少しでも子どもたちのストレスを減らすためにはどうかかわっていけばよいのか、考えていかなければならないと思いました。
2011年6月17日