ビッグパレットふくしま報告(6/25)

ままにけいたいでんわかってあげたい

前回6月12日の「子ども餅つき大会」は避難民からは好評を博したものの、本来の目的である子ども支援とはほど遠いボランティアとなってしまったので、今回はあらかじめ子どもたちに「招待状」を書いたり、キッズコーナーのスタッフと作戦を立てるなどして、何とか子どもたちを獲得しようと努力した。

また、当初今回の活動は単なる餅つきだけではなく、七夕飾りの願い事短冊を書いてもらい、子どもたちの願いをキャッチする目的でもあったので、前日急遽短冊つくりを行った。

当日はあいにくの雨で、テントの下で餅つきが本当にできるのかどうか、非常に不安なところであった。

現地に10:00に着くや、すぐに会場の交渉を行い、冷たい雨をしのげる軒下で行わせてもらえることになった。
10:30に開始した。

今回は必要以上に人が集まらないようにするために館内放送はカットしたのであるが、どこからともなく少しずつ人びとは集まってきて、その中には前回、最後の最後まで餅つきにつきあっていただいた親父さんの姿もあった。その親父さん、「早くつかないと固くなってしまう!」といって、冒頭から餅をつく腕に力が入る。前回は5升の餅米を準備して行列の半分にも行き渡らなかったので、今回は7升準備した。そうしている間に、前回の助っ人集団が勢揃いしてくる。「また、来たのかい!」と、すっかり馴染みの間柄となる。

今回の子どもたちはこの餅つき大会をたいそう心待ちにしていたらしく、臼の回りに子どもたちが10人以上集まってきた。「はい、1列に並んで。一人10回!」と言って、実際は杵を持ち上げるだけで精一杯の子どもたちの餅つきのアシストをしていたら、わずか5分ぐらいでくたくたになってしまう。

10回ついた子どもたちはまた列の最後尾に並び、また餅をつこうとしている。これではアシストの方が死んでしまうので、「はい!つき終わった人は今度は餅を丸める仕事にまわって下さい!」とうまくかわして、何とか生きながらえる。

その子どもたちは、早くお餅を食べたくて食べたくてしょうがないという感じで、取り分の餅を受け取るや、すぐにキッズコーナーに走っておいしそうにほおばっている。

ここで逃げられては真の目的が達成できないので、二人の学生に指示して、七夕飾りの短冊を持っていかせる。

「学生さんたち、採用試験はおわったのかい?」
  「来週です。」
  「なら、こんな餅つきやってる場合じゃねえべ!」と心配してくれるおじさんもいる。

いつの間にやら、前回同様、長蛇の列ができあがっていて、後ろの方の人たちは、自分のところまで餅がまわってくるのか心配そうにこちらをのぞき込んでいる。

本来餅に付けるあんこは傷みやすいために、夏場は餅つきを行わないもの、ということをはじめて知った。だから、この時期の餅つきは人気なのである。

終わりの方で、前回に引き続いて今回も3臼をついて下さったおじさんにお餅を差し上げると、「いやあ、やっと餅が食える!前回は2臼ついたのに食えなかった!」と満面の笑み。 150個ぐらい準備した容器がなくなりかけて、急遽プラスチックコップに代用して間もなく、7升の餅が「完売」となる。

開始からジャスト1時間、これも前回と同じ。すると、前回細かいことをお世話してくれたおじさんが姿を現し、「やっているって聞いたので来てみたら終わっていた」と残念がっている。それでも後片付けを手伝って下さったり、何かと世話を焼いてくれる。

子どもたちに書いてもらった短冊は、たいへん興味深いものがあった。ふと、こちらで勝手に子どもたちを解釈しないで、子ども自身に子どもの言葉で語ってもらうことの重要性に気がつく。
どうしてこんなことに気づかなかったのだろう。

これが子ども支援かというと、子ども支援ではないだろう。しかし子どもだけを切り取って支援するよりも、このような形でコミュニティと関係を持ちながら、子どもに迫っていくというやり方は、仮設住宅に移行していくすぐ後にはむしろ正攻法となっていくだろう。

午後から、川崎麻世さん、カイヤさん、川島なお美さん、キャンドル・ジュンさんの「有名タレントによる炊き出し」が催されたので見学した。たいへんな人だかりだったが、われわれの餅つき隊も、 テレビカメラこそ入らなかったものの、「有名タレント」に負けないくらいの盛況ぶりであったといえる。

【学生の感想】

前回の活動では、本来の目的である子どもへの支援がなかなかうまくいかなかったので、その反省をいかしながら、子どもが足を運んでくれること、少しでも餅つきを楽しんでくれたらという願いで活動に向かいました。もちろん、子どもが対象の中心ではありますが、前回たくさんの大人の方、ご高齢の方が長蛇の列を作って下さったにもかかわらず、おもちを配布できなかったことにも不甲斐なさを感じていたため、少しでもたくさんの人とコミュニケーションを図りながら、おもちを渡すことができたらという思いもありました。

今日は前回のように全体へのアナウンスをしなかったこともあって、前回のような大きな混雑はなく餅つきが始まりました。

ビックパレットで子どものボランティアをなさっている方々が、こどもを誘導してくださったこともあり、こどもに優先的におもちを配布することができ、こどもたちの元気と明るい姿、おいしそうにおもちを食べる様子がたくさん見られました。

私はおもちを分ける作業で手いっぱいなところもあり、直接子どもとかかわることができた時間はほんのわずかではありました。しかし、少しでも自分たちの活動がこどもたちや大人の方々の笑顔の理由になったのなら、ここに来た意味はあるのではないかと感じました。

このビックパレットでの活動の中で、改めて「ボランティア」とはなにかということを考えました。主体はあくまでボランティアを受ける側の人たちであること、自分たちができることと、求められることとは常に一致する訳ではないこと。また、適切な人数や時間、空間など実際の活動を通して学ぶことがたくさんありました。

今後は2・3年生中心の活動になりますが、何らかのかたちで関わっていくことができたらと思います。

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今回はボランティアに参加させていただいて、ありがとうございました。

つきたてのお餅に、とてもたくさんの方が喜んでくださって、嬉しかったです。
もちつきが始まる前から皆さんが話しかけてきて、何が始まるのか楽しみにしている様子が伝わってきました。

避難生活が長期化している日常に、今回のように珍しいイベントを行うことが、避難している皆さんのちょっとした楽しみになると思うので、必要な支援だと感じました。

また、ビックパレットではたくさんのボランティアの方が活動していました。
県内各地の避難所に行けば、自分にできることはたくさんあると思うので、私も福島で支援を続けたいと思います。

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前回の反省を生かし、改善策を考えて臨んだが、今回も長い列が出来て全員に配布できず、作業も慌ただしくなってしまった。

しかし、子どもへの呼びかけやボランティアセンターの方々の協力もあり、今回は子どもが何人か足を運んでくれたのは、良かったように思う。何人かの子どもが「自分で丸めたお餅を食べたい!」と笑顔で味付けに来てくれ、美味しそうに食べる姿を見て嬉しくなった。

餅つき自体があまり体験できることではないため、実際に餅つきの作業に携わらなくても、見るだけでも興味・関心を惹かれる部分はあったのではないかと感じた。

また、高齢者の方々も気軽に声をかけてくれたり、自ら協力してくれたりしたため、コミュニケーションを取りながら行えた。その中で、「餅は避難所では食べられないから嬉しい」というような言葉を何度も耳にし、1人でもそのように感じてくれたのなら、このような活動も意味があるように思えた。

私は、避難所での生活を客観的に見ているだけなので、見当違いかもしれないが、同じ空間で共同生活をしているようで、どこか分断化されているように感じる。お互い顔も名前も知らない人たちが集まっているので当然なのかもしれないが、広く関わりを持っている人は限られているのではないかと思った。

そのため、今回のような企画は、そのような状況を抜け出し、子ども・高齢者など避難している大人・私たち学生が集まる1つの交流の場となったのではないだろうか。やはり、このような状況下でも今を必死に生きる子どもの姿から、元気や何かパワーのようなものをもらえるように思う。

ただ、餅つき大会を行い支給するのではなく、学生が子どもを始めとする、避難者の方々と共同作業をしたり、話したりとコミュニケーションを意識することも大切だと思った。そのことが避難者の想いを知ることにつながり、それに寄り添うための今後の活動にも影響されていくと感じた。

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被災者の避難場所となっているビッグパレットに、子どもたちと触れ合うためのもちつきのボランティアに参加した。

子どもたちというよりお年寄りの方々が中心になってしまった前回の反省を踏まえ、放送での呼びかけをなくしたり、子どもを対象としたものであることを明確にして活動した。結果としては参加者は子どもと大人が半々というものだった。

しかし、お年寄りの方々の「まさかここでもちが食べられると思っていなかった。」という声を聞くと、嬉しくもあり、もっと子どもたちに参加してもらいたかったという残念な気持ちもあり、複雑だった。そんな中で、「子どもたちが優先だから先に入れてあげてね」というおばあさんからの声かけや、もちがなくなってしまい不満げな並んでいた人たちをなだめる「こういうことをしてくれること自体に感謝しなきゃ」という声には、素直に感動した。

もともとの目的である学習支援や、子どもたちとの触れ合いからは少し離れてしまったが、もちをつくお年寄りたちの生き生きとした姿と、それを見つめる不思議そうな子どもたちの目を見ていて、被災者の方々を元気づけるという意味では、実りのあったボランティアだったと思う。

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