仮設住宅子ども支援ボランティア(佐原)報告

団地に子どもたちの声が響き渡る

佐原仮設住宅は、前回の報告では子どもの数が8人だったが、実際の子どもの参加者は20名を優に超えていたようである。
この団地では、毎日談話室を子どもたちに開放してくれているので、ここでクラス子どもたちはもちろん、近辺の仮設住宅からも子どもたちが集まってくるのだそうだ。

この日も、談話室に到着すると「わあ、学生さんたち来たの!」と子どもたちが飛び出してくる。
この時は4名のみだったが、時間が経つにつれ、あちらこちらから子どもたちが集まってきて、部屋の中もぎっしりで、外遊びをする子どもたちもたくさんいた。

前回はバドミントンが大人気だったということで、早速数名の子どもたちはバドミントンのラケットを取り合う。
程なくして三角ベースボールに切り替わり、氷鬼(?)、鬼ごっこ、……と延々と遊びは途切れることなくつながっていく。

うちに帰って自転車を持ってくる子、自慢の「ゴーカイチェンジャー」を持ってきてかっこよく変身ポーズを決める子、「お父さんが勉強習っておけって言ってた!」といって、宿題のプリントを持ってくる子、ランドセルを持ってきては作文を一生懸命書いている子、学生と1対1で延々と「人生ゲーム」を楽しむ子、……。

ここには被災した子どもたちであることが嘘のように、そう、ちょうど1960年代とか、70年代の、下町の長屋を舞台にした庶民的な「古き良き時代」がそのまま再現されている。自分の子どもの時代にタイムスリップしたような気分になる。

1人の保護者の方と話をした。
避難所にいるときに奥さんと離婚したそうである。子どもたちに喰わせなくては、ということで現在も浪江町の津島(線量が非常に高い)にいって仕事をしているのだという。

この佐原の仮設に来たことは偶然なのだが、本当に運がよかった、毎日のように、元気に子どもたちの元気な声が響き渡る。仮設の住民もそれをあたたかく受けて止めてくれている、という。

佐原小学校には70名ほどの避難者の転入があったが、はじめはみんなお互いに顔もわからなかった、今では隣の荒井小学校に通う子どもたちも一緒に遊んでおり、とても仲がいい、という。

30軒ほどの団地というスケールメリットもあるのだろう。お互いに顔見知りになれる数なので、あたたかい雰囲気が伝わってくる。

実際のところ、いくつかの仮設を回ったが、それほど子どもたちの集まりがいいわけではない。
ボランティアの知名度もあるし、土曜日の午後という時間的な制約、これまで築いてきた関係の有無、等々いろいろな条件が満たされて初めてこのボランティアは成り立つ。

ここ佐原のボランティアは「奇跡」といっていいほどのものだ。この日行われていた別のボランティアでは、学生4人に対して子ども1人だったそうだ。ここでは学生5人に対して子ども20人である。

団地の中に、必死で鬼ごっこをする子どもたちの声が響き渡る。未来を切り開く希望の声だ。

学生の感想から

今回初めて参加しました。

最初は4人しか子どもは居なかったのですが最後には18人も子どもが集まっていました。
集会所ではTVゲームをしていた男の子も私たちが来ると外で遊ぶと言ってはりきってバドミントン,野球で一緒に遊びました。
風が強くても楽しそうにバドミントンで遊ぶ子や野球のルールを決めてリーダーになってゲームを進める子もいました。

仮設の周りは砂利が敷いてあり,遊ぶ子どもたちには足場がよくありません。でも砂利道だろうが関係なく外で元気よく動いたり,走ったりする姿を見ているともっと子どもたちが喜ぶことをしたいと思いました。
子どもの笑顔が見れるなら砂利道を走ることや苦手な野球でも何でもやろうと思いました。自分自身が一緒に遊ぶことを楽しんでいました。

帰る時間になると子どもたちは出口の所で見送ってくれました。
「また遊ぼうね。」「今度はもっと上達してきてね。」と言われてまた佐原に来て子どもたちと遊びたいと思いました。

遊んでいる最中に他の子ともめておうちに帰ってしまう子も中にはいました。

学年問わずに子どもたちがみんなで遊べるようにもっと声をかけたり,新しい遊びを考えたりして,子どもたちが気兼ねなく遊びに来れるような環境を継続していけたらいいなと感じました。

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今回初めてこういったボランティアに参加しました。

思っていたよりも多くの子どもたちが遊びに来てくれて、「次はいつ来るの?」「また来てね」などと言ってくれたことが嬉しかったです。
鬼ごっこなどの遊びが多かったので、体力的にはとても厳しいところもありましたが、子どもたちも本気になって遊んでくれたのでよかったなと思います。

できればまた同じ仮設住宅に行きたいと思いました。

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